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☆*:.。. 京都りっぷ .。.:*☆

歴史好き・グルメ好きのcotoがみた、観光客目線の京都ガイド

獅子吼の庭 *宝厳院 

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秋の気配を感じる宝厳院さん

真紅にそまるモミジはもうちょっとたってからでした










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秋の足音を感じながら巡る庭園

お庭が真っ赤に染まるころは

きっと人の波で溢れかえっているんでしょうね


ちょっと早めにきて得した気分☆









宝厳院のcoto
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町36
075-861-0091
JR嵯峨野線『嵯峨嵐山』駅下車徒歩7分

臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院。山号は大亀山。室町幕府の管領細川頼之により夢窓国師の第三世法孫聖仲永光禅寺を開山に迎え創建。
創建時は現在の京都市上京区にあったが、応仁の乱により焼失、のちに再建された。その後変遷を経て、天龍寺塔頭弘源寺境内に移転の後、現在地に移転再興された。
庭園、「獅子吼(ししく)の庭」は室町時代に二度中国に渡った夢窓国師の法孫である策彦禅師によって作庭されたものである。嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園で、江戸時代に京都の名所名庭を収録した「都林泉名勝図会」にも収録された名園である。獅子吼とは「仏が説法する」という意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって人生の真理、正道を肌で感じる。これを「無言の説法」というが、心が癒される庭である。
拝観料 \500




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色付きはじめた *天龍寺 

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秋の京都は、ここからはじまりました。

観光客でにぎわいをみせる嵐山の天龍寺さん。









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大方丈から見渡す曹源池や

書院で寛ぎながら

微睡むのが好き


でもこの時期はそうさせてもらえません(~_~;)








天龍寺のcoto
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
075-881-1235
JR嵯峨嵐山駅下車徒歩7分

1994年(平成6年)世界文化遺産登録。
臨済宗天龍寺派の大本山。正しくは霊亀山天龍資聖禅寺という。
1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うため足利尊氏が夢窓国師を開山として創建。この地は壇林皇后(嵯峨天皇の后)が開創した壇林寺のあったところで、のちに後嵯峨上皇の仙洞御所・亀山殿が営まれた。「亀山」とは天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られる小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名前がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれに因んでいる。
夢窓国師は塔頭建立の資金調達のため「天龍寺船」による中国(元)との貿易を進言。1343年には七堂伽藍がほぼ整った。夢窓国師の流門は栄え、天龍寺は京都五山第一位の寺格を誇った。
創建以来、8回の火災に見舞われた天龍寺の堂宇の多くは明治以降の再建。夢窓国師による庭園(曹源池)は国の史跡・特別名勝の第一号に指定された。
本堂+庭園拝観料 ¥600










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毛利の城 *広島城 

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毛利輝元が小早川隆景や吉川広家とともに、大阪城や聚楽第を見て築城を決めたとされている。


黒田官兵衛の世界がここに…







広島城のcoto
広島県広島市中区基町21番1号
082-221-7512

太田川河口の三角州に毛利輝元が築いた平城。大坂城や岡山城と共に初期近世城郭の代表的なものである。名古屋城、岡山城と共に日本三大平城とも言われている。
江戸時代には広島藩42万6000石の太守浅野家の居城となり、江戸時代中期に書かれた『広島藩御覚書帖』では、5重と3重の大小天守群以下、櫓88基が建てられていたとされる。1598年に毛利輝元によって創建された大天守は、1945年に倒壊するまで現存天守の中では岡山城天守に次ぐ古式を伝えるものであった。
日清戦争では、本丸に大本営が置かれたという稀有な歴史を持っている。アメリカ軍による広島市への原子爆弾投下の際には破壊目標地点となった。また天守は原爆による爆風で吹き飛ばされたのではなく、建物の自重により自壊したことが近年の研究で判明している。
日本100名城のひとつ。
観覧料 ¥370




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恒久平和への願い *平和記念公園~原爆ドーム 

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原爆の惨禍を知るにはこちら、広島平和記念資料館

当時の凄惨さは計りしれない










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原爆ドーム








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この原爆投下という実体験を後世に伝え

二度と不幸な戦争をしないよう思いを新たにしました

破壊は何も生みませんからね









平和記念公園のcoto
広島市の中心部にある公園。世界の恒久平和を願って爆心地に近い場所に建設された。園内には、原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館や世界遺産に登録されている原爆ドームや原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがある。平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれている。



原爆ドームのcoto
チェコ人、ヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月、広島県物産陳列館として竣工。
当時の広島は、都心部のほとんどは木造2階建ての建築であったため、大胆なヨーロッパ風の建築デザインによる物産陳列館のような建物は非常に珍しく、広島名所の一つに数えられた。
館の名称は、大正10年(1921年)に広島県立商品陳列所、昭和8年(1933年)からは広島県産業奨励館と改称された。
戦争が激化するにつれ、より産業奨励に重点を置いた運営がなされるようになる。館内の展示も次第に縮小の一途をたどり、ついに昭和19年(1944年)3月31日、館業務は廃止され、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社など、官公庁や統制組合の事務所に使用されることになった。
1996年に世界文化遺産に登録。





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神々の住まう島 *厳島神社 

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日本三景にかぞえられる「安芸の宮島」。

厳島(宮島)は「神に斎く(いつく = 仕える)島」という語源のように、古くから島そのものが神として信仰されてきた。








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潮の満ち引きで異なる姿をみせる厳島神社。

満潮時に海に浮かぶ姿も荘厳ですが…


観光客の少ない早朝の訪問が、神社本来の凛とした雰囲気を感じることができると思います。


お土産のもみじ饅頭は老舗の「岩村もみじ屋」さんがおすすめ

薄皮に甘さ控えめな餡が絶品です♪






厳島神社のcoto
広島県廿日市市宮島町 1-1
0829-44-2020

日本三景のひとつとして宮城県の松島,京都府の天橋立と並び称される名勝地。1996年にユネスコの世界文化遺産に登録。
推古元年(593年)に佐伯鞍職が社殿を創建したことに始まる。天照大神の娘である三女神、市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)、田心姫命 (たごりひめのみこと)、湍津姫命 (たぎつひめのみこと)を海・交通・財福・技芸の神として祀る。
平安時代末期、神主・佐伯景弘と平清盛の結びつきを契機に平家一族から崇敬を受けた。仁安3年(1168年)頃、平清盛が社殿を造営し現在と同程度の大規模な社殿が整えられた。平家の隆盛とともに栄え、平家の氏神となる。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受ける。
戦国時代になると社勢は徐々に衰退するも、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収めて厳島を含む一帯を支配下に置くと再び隆盛した。毛利元就は大掛かりな社殿修復を行なった。また、豊臣秀吉も九州遠征の途上で参拝し、大経堂の造営を行なっている。
昇殿料 ¥300




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