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歴史好き・グルメ好きのcotoがみた、観光客目線の京都ガイド

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光明寺 

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ちょっとお先に失礼します…





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乙訓寺 

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初夏の陽気のなか

和傘が似合う牡丹さんに出会いました








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色白の牡丹さんに

ちょっとピンクに火照った牡丹さん


日傘をさして日焼け止め



女の子やね…






乙訓寺のcoto
長岡京市今里3-14-7
075-951-5759
JR長岡京駅下車 阪急バスで15分程

推古天皇の勅命により聖徳太子が建立したと言われている古刹。長岡京造営以前、奈良時代の創建と推定されている。
延暦3年(784年)桓武天皇が長岡京を造営した際には都の地鎮として大規模に増築された。また藤原種継暗殺事件の首謀者の嫌疑をかけられた早良親王が幽閉された場所でもあるとされる。
空海が一時住したともいわれ、長岡京が廃都となっても大規模な伽藍を擁し室町時代でも10を越す僧坊があったという。
永禄年間(1558〜1569)信長の兵火により一時衰微したが、元禄六年(1693)五代将軍綱吉により堂宇を再建して乙訓寺法度をつくり徳川家の祈願寺となった。

乙訓寺の牡丹の始まりは昭和15年頃。室戸台風でほとんどが倒木し応仁の乱も生き延びたと伝わるモチノキ、弘法大師お手植えの菩提樹も多大な損害を受けた。乙訓寺第19世海延の伯父にあたる長谷寺第68世能化(住職)海雲全教和上がご愛育の牡丹のうち2株を寄進されたのが牡丹の始まりである。 
その後、乙訓寺歴代住職らの尽力により株数も増加し、今では約2000株の花が美しく境内を彩っている。
拝観料¥500




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